どうも、メンヘラナマポおじさん(@MenhealerOjisan)です。
「シンプルシンキング 単純に生きる100のヒント」を読みました。
引用レビューしていきます。
誰でも愛する人のために特別な創造力を持っている
男女が恋に落ちるとき、2人が同時にというのはまれである。どちらか1人がまず相手を好きになって、パートナーになろうと努力する。
恋を実らせるための手段としては、いろいろな可能性があるが、一番素晴らしいのは"知力"と"ファンタジー"を使うことだ。この2つは神の贈り物で、恋という目的の為に使えるものである。
"天上の愛のファンタジー"とも言うべき素敵な逸話があるので紹介しよう。
有名な作曲家メンデルスゾーンの孫にあたるモーゼス・メンデルスゾーンは、人柄は上品だったが、体型が不格好であった。彼の背中には生まれつきコブがあって曲がっていたのだ。それでよくからかわれたりもした。
ある日のことモーゼスは、ハンブルグの商人を訪ねた。すると、そこにはとても美しいフルムチェという名の娘がいて、彼は彼女にぞっこん惚れてしまったのだった。しばらくして、彼は自分の恋心を思い切って告白した。
フルムチェは、ショックを受けたに違いない。そして、彼女は不恰好な成年への嫌悪感を見せないように、何とか気持ちを隠したのだった。
しかしモーゼスは、頑固に粘りとおして、崇拝する彼女にこんな質問を投げかけた。
「結婚は天が決めることだと、フルムチェ、あなたは信じますか?」
「ええ、信じますわ」
信心深いフルムチェがそう答えると、モーゼスは続けた。
「1人の男子が生まれる前、天国ではもうわかってるんです。神が彼の妻にはどんな娘を与えるかが。そうして僕にも未来の花嫁が示されました。その時神はこう言ったんですね。
” 君の妻となる人は、特別愛らしい人だろう。でも残念なことに、背中にコブがあるんだ"
それを聞いて、僕は思わず叫びました。
"ああ、神様、それはひどすぎる。お願いだから、彼女を美しい人にして、コブは僕の方につけてくれ!”とね」
その後すぐ、2人は結婚した。そして幸せな夫婦生活がずっと続いたと言われている。
人生は不完全だからこそ面白い
例えばの話、あなたが病院で働いていたとしよう。
机の上には、2人の患者の心電図が置かれている。
1人は時計の機械のように、どこをとっても規則正しい感覚の波形を示している。ところが、もう一人の方は、ある時は鼓動が速く、あるときはゆっくり、またあるときは完全に入り乱れた波形で、激しい変異のあるものだった。
さて、重病なのは、どちらの患者だろうか?
波形の変動が激しい方が病気に違いない、と普通答えるだろう。
でも残念でした!ハズレなのだ。
不規則な心拍こそ、日常生活のあらゆることに対応できる健康でノーマルな心臓なのである。
(中略)
この心臓のリズムのように、自然法則が、混乱と秩序との間を行ったり来たりして、人生に豊かさを加えている状態、それが生きているということなのだ。
アインシュタインに学ぶ型にはまらない生き方
物理学者アルバート・アインシュタインは、着るものに関して特に無頓着だった。上品な服装なんて言うモノは、軽視していた。
(中略)
彼のトレードマーク、クレイジーな教授の"ボサボサ頭"は、簡単な理由からそうなった。彼が理髪店に行くのを嫌がったために、近眼の妻エルザが彼の髪を切らねばならなかったからである。
アインシュタインはこう考えていた。
「肉を包んだ袋の方が、肉より価値があるなんてことあるはずがない」
(中略)
「私はいつもいい加減な格好でいるよ。たとえせいなる式典の晩さん会でもな」
彼は型にはまらない、自分のスタイルを発見したのだ。そして心なごませる正直さでこう告白したのだった。
「正しい礼儀作法を拒むことで、何物にも邪魔されない自由を手に入れられるからね」
見かけは悪いかもしれないが、プレッシャーが少ない生活は悪くない。そこには十分な自由があるし、自分のままでいられ、外見もそう気にしなくていい。
聡明な謙虚さを持った彼の相対性理論の教えは、明らかに時を超え、人の心をひきつけている。
時代を超えて残る長生きの為の10の知恵
スコットとヘレンのニーリング夫妻は、アメリカの急進的な"シンプル・ライフ"のパイオニアである。
1932年(世界恐慌のまっ最中)、2人はニューヨークを捨てて、ベルモント州のグリーン・マウンテンに移り、新たな生活を始めた。
自らの手で石造りの家を建て、毎日の辛い肉体労働に従事していた。
ヘレンのメモ帳には、より良い"シンプル・ライフ"の為の、時代を超越した言葉が残されている。
その時々に起こることに対して、全力を尽くせ。
仕事は自分が喜びを感じるモノを探せ。
衣食住は、もっとも単純であるべし。余計なものすべてから自分を引き離せ。
毎日、自然とコンタクトを取るべし。自分の足の下にある土を感じよ。
自分の体をハードな肉体労働、庭いじり、またはきちんと散歩することなどで、元気に保て。
心配をしないこと。毎日を新しい気持ちで「今」「ここ」を生きよ。
1人暮らしならば、毎日、他の人と関わる時間をとるべし。誰かに手紙を書く。何かを贈る。何かの方法で誰かを助けるなど。
人生と世界に感嘆する時間を持つべし。人生に少しの喜びが出現するのを、できるだけ捕えること。
忘れないように。すべての物事は人生に立った一度だけしかないことを。
すべての生き物に、優しく接するべし。
ない物ねだりより、今あるものに目を向けよう
旧約聖書という知恵に満ちた本には、素晴らしい一文がある。
「ないモノを望むより、目の前にあるモノを利用する方がいい」(伝道の書6・9)
この文は、私が困っていた時の魔法の言葉だった。お金がなかった時、子供のおかげで仕事が進まなかったとき、この文を頭に入れておけば、必ず解決法が見つかった。
今は不可能なことや困難なことばかりを見つめる人はやがて、他人は自分より良い立場にいるのに、自分だけが成功していない、という厄介な気持にとらわれてしまう。
こういった考え方は、精神を食いつくすものだ。するとしだいに、絶望や不満足感、ねたみがその人を支配していく。
本当の哲学者と言えるセネカは、実用的に考え、より平静であるための方法をも提供している。
- 今の状況に合わせる
- 愚痴は最小限にする
- 今の状況の良いところを見出し、そのすべてを自分のモノにする
ポイントを1つ押さえておくだけで十分だ
ちょうど北極の上に、1つ星がある。だからその星はいつも、空の同じところにあるのだ。天文学者にとっては、大騒ぎすることではない。
この星、北極星の発見が、素晴らしいモノなんだとわかるまで、私には長い時間が必要だった。庭のベンチに座って空を仰ぐと、北極星は1年中どの季節でも、屋根の上のテレビアンテナからちょうど指1本分のところで光っている。
これはとても便利だ。北極星を中心に、全宇宙がその周りをまわっているように見えるのだ。北極星からはすぐに北斗七星が見つかるし、そこからはすべての星座を次々と見つけることができる。突然、空にある目まぐるしい数の星が、1つ1つよくわかってくるのだ。すべての星を知らなくても、ポイントとなる数個の星がわかっていれば十分で、空でもう迷うことはなくなるのだ。
これはめまぐるしく多様な、人の日常生活にも言えることだ。
重要なポイントを一つ押さえておくだけで、混乱の世の中を迷わずに生きることができるのである。
ちょうど高いところから人生を見れば心も楽になる
もし私が自分の人生を、もう一度生きることができたなら…
…もっとたくさんの間違いをするだろう。
私はのんびり生きるだろう。
この人生よりもっと狂っているだろう。
私はもっと多くのリスクを冒すだろう。
私は自分の思い込みから作ってしまう問題を少なくして、本当の問題をもっと多く見つめて生きるだろう。
私の人生には良い時がある。もしもう一度生きることができるなら、良い時をもっと味わいたい。
冬から春の日差しに変わった時、裸足で歩くだろう。
私はいろいろサボるだろう。
より頻繁に日向で寝そべるだろう…
これらは心理学的助言や、教会の説教からではなく、バイクの広告から引用したものである。
スパムを防ぐため承認制にしていますが、ご意見の賛否を問わずスパム以外は承認しています。(返信するとは言っていない)コメントお待ちしております。