渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」を読みました

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どうも、メンヘラナマポおじさん(@MenhealerOjisan)です。

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」を読みました。

引用レビューしていきます。

 渡辺さんは壮絶な生い立ちの人です。

渡辺さんが9歳の時に、陸軍中将だったお父さんを目の前で軍人に殺されたそうです。

後の二二六事件と呼ばれる青年将校の暴走ですね。

その後はお母さんに厳しく育てられたそうで、お母さんに言われた言葉などがこの本でも取り上げられています。

目次

人はどんな場所でも幸せを見つけることができる

 自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、一人の宣教師が一つの短い英語の詩を渡してくれました。その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったのです。

 岡山という土地に置かれ、学長という風当たりの強い立場に置かれ、四苦八苦している私を見るに見かねて、くださったのでしょう。

 私は変わりました。そうだ。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。

(中略)

 どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。 

人は一人だけでは生きてゆけない

 委ねるに際しては、相手を信頼しなければいけないということでした。二つ目は、委ねるということは、決して"丸投げ"することではなく、要所要所チェックして、委ねっぱなしでないことを相手にもわからせるということ。そして最後に、一番大切なことは、委ねた結果が良かった時は、その人の功績とするけれども、結果が悪かった時は自分が悪者となることを恐れないということです。 

つらい日々も、笑える日につながっている

 「死にたいと思うほどに苦しい時、"苦しいから、もうちょっと生きてみよう"とつぶやいてください」苦しみの峠にいるとき、そこからは必ず下り坂になります。そして、その頂点を通り越す時に味わった痛みが、その人を強くするのです。 

神は力に余る試練を与えない

 今あなたが抱えているたくさんの悩み。それらを一度整理してみてください。変えられない現実はどうしようもない。無理に変えようとすれば、心は疲れ果ててしまう。ならば、その悩みに対する心の持ちようを変えてみること。そうすることでたとえ悩みは消えなくとも、きっと生きる勇気が芽生えるはずですから。 

親の価値観が子どもの価値観を作る

 三歳ぐらいの子供を連れた母親が、水道工事をしている人たちのそばを通りながら語って聞かせています。「おじさんたちが、こうして働いてくださるおかげで、坊やはおいしいお水が飲めるのよ。ありがとうと言って通りましょうね」

 同じところを、これまた幼い子を連れた別の母親が通りかかります。子どもに向かって言いました。「坊やも勉強しないと、こういうお仕事をしないといけなくなるのよ」

 価値観はこのようにして、親から子どもに伝えられることがあるのです。最初の母親は、人間はお互い同士、支えあって生きていること、労働への感謝の念を子どもの心に植え付けたのに対し、二番目の母親は、職業に対する偏見と、人間を学歴などで差別する価値観を植え付けたのではないでしょうか。 

母の背中を手本に生きる

 母はよく諺を使って、物事のあるべきようを教えてくれました。その一つに、「堪忍のなる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍、するが堪忍」というのがありました。

 母は本当に我慢強い人でした。私などにはわからない苦労を、黙って耐えていたのでしょう。誰にでもできる我慢は、我慢のうちに入らない。普通なら到底できない我慢、忍耐、許しができて、初めて「堪忍」の名に値するのだという教えでした。 

ふがいない自分と仲良く生きていく

 悩みは、嫉妬に似ていると私は思っています。初めは小さかった悩みも、そこにばかり目をやっていると、どんどん雪だるまのように膨らんでいく。そして、転がりながら小さな悩みさえもくっつけて、自分ではどうしようもないほどに大きくなっていく。そうなる前に、もう一度客観的に自分自身を眺めてみることです。これまで持っていた物を失う。それは悲しいことです。しかし失った物ばかり嘆いていても前には進みません。ふがいない自分としっかり向き合い、そして仲良く生きていくことです。周りにはたくさんの人がいます。でも、二十四時間ずっと一緒にいるのは自分だけ。その自分を嫌うことなく大切にしてあげなくてはいけない。悩みを抱えている自分もまた、いとおしく思うことです。 

道は必ず開ける

 私たちの一生は、「迷い」の連続と言ってもよいでしょう。小さなことでは、今日は何を着ていこうかという迷いから、大きなことでは、生死にかかわることについての迷いまで、大小さまざまあります。

 迷うことができるのも、一つの恵みです。ナチスの強制収容所に送られた人々には、迷うことは許されませんでした。すべてが命令による強制であり、人は選択する自由、つまり、迷う自由を剥奪されていたのです。

 「迷った時には、それぞれのプラスとマイナスを書きだし、重みによって決めなさい」修道生活か結婚生活かの選択に迷っていた私に、上司であったアメリカ人神父が教えてくれたことでした。 

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