金子由紀子著「暮らしが変わる40の習慣」を読みました

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暮らしが変わる40の習慣
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どうも、メンヘラナマポおじさん(@MenhealerOjisan)です。

金子由紀子さんの「暮らしが変わる40の習慣」を読みました。

すごい付箋の数です。

引用レビューしていきます。

目次

 人は"習慣"の束でできている

 歌手でフラダンサーのサンディーさんが、雑誌のインタビューで語っていた「人は、習慣の束です」この言葉を目にした時、ここに自分を変えるためのヒントがあると思った。

 「習慣」という言葉と、「束」という言葉を同時に聞いて、パッと一つのビジョンが浮かんだのだ。それは、大河に架かる巨大な吊り橋だった。

 瀬戸大橋や、東京湾に架かるレインボーブリッジのような長大橋は、人類が作りえる最大の工作物のひとつだ。そこにはまるで柱と見紛うばかりの太いケーブルが使われている。そして、一本のケーブルは、何万本もの鋼線をより合わせて作られているという。

 例えば、橋に何らかの想定外の荷重が加わったとする。だからと言って、ケーブルはにわかには切れたりしない。寄りあわされた何本ものうちのまず一本が切れ、二本が切れ、落橋するギリギリまで持ちこたえるだろう。そのためには、一本の鋼線は、太ければ太いほどよく、その数は、多ければ多いほどいいはずだ。

 では、もし人が一本の吊り橋だったら?

 ケーブルと、それを構成する鋼線が、生活習慣だったら?

 人生には、強い風を受けることもあるし、思いもよらない事故だってあるかもしれない。そんなとき、自分を支えるケーブルを構成する鋼線=習慣が、太ければ太いほど、多ければ多いほど、崩れ落ちることなく、切れることなく、生きていけるんじゃないだろうか。そう思ったのだ。 

習慣が不可能を可能にする

 習慣の素晴らしさの最たるものは、「あまり負担を感じずに済む」ことだ。

 「忍者が跳躍力を鍛えるために、麻の苗を植えて、それを毎日飛び越す練習をする」という逸話がある。麻の葉は成長が速く、丈高く成長する。毎日飛び越しているうちに、知らず知らず次第に高く跳躍できるようになり、ついには、本来なら飛び越せない高さまで跳躍できるようになる、というものだ。

 いっぺんに成長することはできなくても、自分にできる習慣を一つ、また一つと身につけていけば、負担感に挫折することもなく、無力感にさいなまれることもなく、少しずつ成長していけるのではないだろうか。 

習慣を身につけるときの注意

 ダイエットを始める人などにありがちなのだが、「今日から頑張る!」とばかりに、一度にたくさんのことを始めようとする人が多い。そしてそれは、たいてい数日で挫折する。

 「食事は薄味の和食にして、間食はやめる。朝起きたらストレッチ、一駅前から歩くようにして、エレベーターは使わない…」

 昨日までの習慣とまったく異なる行動を、生活のあらゆる面で取り入れようとするのは、無理があるし、続かない。

 だから、新しい習慣を取り入れるなら、一度に一つだけ、それを二週間続ける。それが定着したら、次の新しい習慣を、また一つだけ取り入れる、それを二週間続ける…。

 この考え方は、私のような凡人にとっては、とても重要なことだと思う。すぐに何もかもを変えようとすると挫折するが、欲張らず、一つ一つクリアしていけば、必ず身につく。結果、意外にたくさんの習慣を獲得することができる。 

私のお買い物ルール

捨てるときにお金がかかるモノは、なるべく買わない

 大きくて重いモノを買うときは、よくよく注意しなければならない。家具、家電の類がそれに当たるのだが、売り場では、そこそこ用が足りそうに見えて、値段が格安であったりすると、「これでいいか~」と買ってしまいがち。だが、ここで一歩踏みとどまる。

 「待てよ、これ、飽きたり使いづらかったりして、やっぱりいらない~ってなった時、売れるかな?」

 リサイクル店の買取価格は、購入価格と比べたらあきれるほど安い。大概のモノは、封を開けた途端、半額以下になってしまうと思って間違いない。モノによっては、値段も付かず、逆に引き取り手数料を請求されかねない。 

 自分と自分の暮らしに絶対似合う(と思える)モノを買う

 「タンスのこやし」をつくらないためにも、洋服など身につけるものについては、必ず試着して、一度では買わないようにしている。だから、通販は基本的にNG。「こういう色、素材、デザインのモノが欲しい」と、あらかじめ決めておき、それに限りなく近いモノを根気よく探すことにしている。 

 単純で丈夫なモノを買う

 デザインも機能も、多種多様なモノが出回っていて、どれを買えばいいのか迷ってしまうようなときは、なるべく単純な作りで、丈夫なモノを選ぶ。どんなに多機能でも、私にはたいして使いこなせないし、単純で丈夫なモノは修理が容易な場合が多い。アフターサービスも大きなポイントだ。"価格が高くて重量が重い"が一つの目安。 

今あるモノを大事にする

 持っている鍋が、古びてきて、何んとなくさえないなあと思うなら、ピカピカになるまで磨いてみる。すると、不思議なことに、新しいモノが欲しいという気持ちがすうっと消えていく。

 新しい服が欲しい、あんなのもないし、こんなのも必要だ、と思ったら、本当にそうかどうか、手持ちの服を検証する。最近着ていないあれと、少し地味なこれに、こっちのスカーフを合わせれば、おお、まだイケる。やっぱりいいや。

 これは、余計なお金を使わないためでもあり、次々と新しいモノを家に入れて、モノに暮らしを圧迫されないためでもある。私は基本的に、モノは使ってナンボだと思っているので、一つのモノをいかにしてもっと使うか、ということの方に興味があるのだ。 

床に絶対、モノを置かない

 床の上にモノがない効果は絶大である。何しろ、掃除がラクだ。床の上にモノさえなければ、どんなに広い空間であっても、掃除機かけくらいあっという間に終わる。

 広大なオフィスビルのフロアに掃除機をかけている清掃会社のスタッフが、眉間にしわを寄せていることはあまりない。オフィスビルの床には、おもちゃのパーツだの、夫の靴下だの、デパートの紙袋だのが落ちていることはないからだ。

 映画やテレビドラマの制作の場で、"散らかった部屋"を一瞬で印象付けるためには、床の上にモノを散乱させるという。逆もまた真ならば、床の上にモノさえなければ、片づいて見える道理ではないだろうか。 

「重ねる・揃える・たたむ」の三原則

 モノが散らかってイライラするのは、散らかったモノには、自分の意思が及ばないからだ。何本ペンがあっても、使いたいときにすぐ出てこなければ、書くことはできないし、放り出されてシワくちゃの服は、着ることができない。

 散らかっているということは、モノがそこにあってそこにないという状態であり、モノが、持ち主である自分の思い通りにならないというもどかしさの原因になる。

 たくさんのモノがあっても、そこに「散らかすまいとする自分の意思」が働いている限り、散らかることはない。「自分の意思」をどう働かせるか―そう、重ねて、揃えて、たたむことを通じてである。 

収納はぎっしり詰め込まないで

 たとえば天袋。体積で言ったら、結構なモノを収納できる。

 「普段使わないモノを収納しましょう」と収納の本にも書いてある。で、収納する。レジャー用品とか、季節の品々が、たくさん納まる。とても賢いやり方である。

 ところが、ひとたびここから取り出して使ったところで、再び戻すのに、どうしてあんなに時間がかかるのか。

 大きな旅行カバンも、浮き輪やスキー用品も、いつまでたっても天袋には戻らないで、生活空間に入り浸っている。あるいはあそこは、"シャバ"ではないのか?

 私は天袋はシャバではないと思う。あそこは、部屋の中にありながら、どこかい空間に通じる、この世ならぬ空間。だから、一度しまったが最後、すっかりそこにあるモノの存在は忘れてしまう。

 そんな空間だから、モノは戻りたがらない。モノだってやっぱり、シャバがいいのだ。なかなかしまえないのは、私が根性無しであるばかりではないと思う(思いたい!)。

(中略)

 だから、以前はこういうところにしまっていたモノの中で、使うモノはもっとしまいやすい「シャバ」に移動させ、その場所を開けるために、シャバに居座っていた、ろくに使っていないモノを捨てた。 

自分に必要なモノの適量を知る

 こんな世の中で、買い物しないでいる方が難しい。ちょっと外へ出れば、綺麗なモノ、素敵なモノ、便利なモノが次々目に入る。うっかりしていると、買ってしまいそう。

 そんな自分を制するためには、「自分にとっての適量」を把握し、そこからモノがはみ出さないためのルールを作っておくことだ。

(中略)

 たしかに、そのモノは素敵だけど、今の私に必要か?今の私はそれを有効に使えるか?

 将来的には、それが必要になったり、使いこなせるようになったりする日は来るかもしれない。でも、少なくとも今の私に、そのモノが必要じゃないのなら、買わないし、持たない。くれると言われても、断るか、もっとそれが必要なほかの人に譲る。

 大丈夫、それが本当に必要になった時は、必ず手に入る。今から一生懸命、「その時」に備える必要はないのだ。そう思えば、必要なモノってそう多くはないことが分かる。むやみに欲しい気持ちが湧くこともない。 

迷ったら、「色・柄・飾り」のないモノを選ぶ

 何色もあるうちから選ぶなら、白か透明を選ぶ。

 柄がついているモノと無地のモノなら、無地を選ぶ。

 飾りがついているモノとついていないのなら、ついていない方を選ぶ。

 こういう選択の仕方は楽だし、暮らしを複雑にしない。白や透明なら、たくさんあってもうるさくならないし、少々形や大きさが違っても揃って見える。

 いろいろな柄モノがあると、目にもうるさいし、たとえば服なら、花柄とチェックは、センスがないと合わせづらい。だが、無地と無地ならぶつかることがない。自然と、組み合わせて使うことが容易になる。少ないモノで暮らす時、 "組み合わせ"は必須だ。

捨てるモノを探すクセをつける

 なんとなく気分がスッキリしない時、イライラしているとき、落ち着かない気分になると、私の目はひとりでに、身の回りにある"捨ててもいいモノ"を探しまわっている。

 使っていないモノ。好きじゃないモノ。断り切れず、ついもらってしまったモノ。勝手に家に入ってきたモノ。壊れているモノ。なぜかあるモノ。

 制限しているつもりでいても、いつの間にかこういうモノたちは、身の回りに溢れてくる。そういうモノをサーチしては、「捨て」を実行するのだ。空間に余裕ができ、見ていてイラっとするモノが減っていく。気持ちが軽くなって、モヤモヤした気分が少し、ラクになる。 

(中略)

 モノは、気持ちよく使えば薬となるが、ただ持ち続けているだけなら、毒となる。毒に満ちた暮らしは、心と体を損なっていく。

 私の母は、何でも大事に取っておくし、捨てられない。「もったいない」は、昭和十年代生まれのあの世代の人たちに、深く刻み込まれた価値観であり、それはそれで否定できない美徳でもある。

 しかし、その子ども世代である私たちは、親世代の価値観を受け継いでいるように見えて、実際は、大量購入・大量消費の使い捨て文化の中で育っている。私たちの言う「もったいない」は、じつは「捨てるのがめんどくさい」の隠れ蓑になっていないだろうか。

 捨てるのは、気力も体力も必要だけれど、暮らしの見晴らしを良くしておくために、とっても大切なことだと思う。罪悪感と戦いながらも捨てることを怠ると、暮らしの垢はたまる一方なのだ。

一物多用で、モノをダブらせない

 水も、熱いお茶も、ワインも同じグラスで飲み、それをデザート容器にも使う。コーヒーも紅茶も同じカップで飲む。同じサイズの皿も一種類ずつ。洋服は着替えがないと困るので、同じような雰囲気の服を複数持っているが、靴とバッグはダブらせない。

 だから、モノを選ぶときは、同じようなモノの中でも、なるべく多目的に使える、一番気に入ったモノを、と心がけている。ただ、そういうモノを探すのは容易ではない。だから、私はなかなかモノを買えない。

(中略)

 「たくさんある=豊か」ではなく、「少ない良いモノを楽しんで、大切に使う」ことこそ豊かなのだ。それを徹底していくことで、暮らしと人生を楽しみたい。

暮らしが変わる40の習慣

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