ドミニック・ローホー著「屋根ひとつお茶一杯」を読みました

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屋根ひとつ、お茶一杯
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どうも、メンヘラナマポおじさん(@MenhealerOjisan)です。

ドミニック・ローホーさんの「屋根ひとつお茶一杯」を読みました。

引用レビューします。

目次

 広い家が奪うもの、小さな家が与えてくれるもの

 家が狭い、もっと広い家に住みたい、と不満を述べる人が世の中にはたくさんいます。その反対に広い家に住みながらも、防犯や維持、光熱費やローンの支払いに苦労する人も少なくありません。

 あえて小さい家を選んでいる人は、その利点に気付いている人たちです。

 住まいにまつわる悩みが減少し、時間的なゆとりも増え、快適さも増すと実感しているからでしょう。

 世の中の流れは、相変わらず「ゆとりのスペース=豊かで幸せ」というもの。また、ボタン一つで操作できる家電製品を始め、あらゆるサービスが私たちの暮らしを一見便利にしているかのように思わせます。しかし、このいきすぎた流れが、実は本来私たちが持っていた生活の「知恵」と「節度」を失わせているのです。

 一方、物欲も人を狂わせ「無責任」にします。少ないもので生活し、物事をシンプルにしてみると、自然と幸福に似た心地よい気持ちになれます。多くのものを所有することは、広い家に住むことを喜びと感じる人と同じで、世の中の「幸福のお手本」を信じているからでしょう。けれども、それは何も私たちにもたらしてはくれません。

 広い家を手に入れ、様々なインテリアに凝ったりすることは、その場では自分が満たされていくように感じます。でも私たちは、つい不必要な用事を増やして気を散漫にし、生活をシンプルにするどころか反対に複雑にしてしまっているのです。

 一度それを見直し、のんきで身軽な生活に戻してみてはどうでしょう?私たち人間はもともとのんきに生きていたのではないでしょうか。

 極論ですが、簡素で狭い場所、明日にでも明け渡して出ていけるような場所で暮らしてみると、何事にもとらわれない自由な自分、と同時に自立した自分に代わっていくのがわかります。 

若者たちが欲しているのは「時間」と「経験」

 さて、次世代の若者たちは、私たちの世代のように広い住まいを必要と考えているでしょうか?

 彼らの生活様式はますます「遊牧民(ノマド)」化しています。親世代がしてきたような、同じ場所で一生をかけてキャリアを積んでいく仕事をすでに拒否している彼らが、どこかに定住することを望むでしょうか?

 大きな家を手に入れるために、人生設計をするような生き方を選ぶでしょうか?

 また、幸せになるために、物を溜め込む欲求が、彼らに芽生えるでしょうか?

 最近の若者は、物にはさほど興味を示さないように見えます。服もあまり買いませんし、グルメや結婚、家族をさほど重視しない傾向が見られます。

 彼らが欲しいのは「時間」と「経験」ではないでしょうか?

 今日の私たちの生活で、もはや避けて通れない、強い影響を及ぼしている要素がもう一つあります。科学技術の発展です。すでに、パソコンが1台あれば、遠距離で仕事することも、在宅ワークも可能になっています。さらに、3Dプリンターが低価格化してきているので、いずれモノづくりも家で可能でしょう。そうなるとますますオフィスは必要でなくなり、わざわざそのための空間を確保する必要もなくなるわけです。

 次世代の若者たちはもしかすると「芝生とプール付き」ではなく、小さな家に家庭菜園、そこで収穫した良質な食材を夕食の皿に載せることを、そして借金や悩みから解放されて生きることを願うのかもしれません。

 少なくとも私は、彼らにそのようになって欲しいと切に願います。

成熟した物差しを持って、ほがらかに暮らす

 人間というのは、過去より現在が正しいと思いがちです。だからこそ、成熟した社会になるためには、幸福度という物差しが必要です。そうでないと、経済的な指標に振り回されてしまうからです。

 現に、社会はありとあらゆる手段を使って、私たちに、お金を稼ぐことこそが唯一価値ある能力で、成功者に少しでもあやかるようにとけしかけます。

 野心も抱かずに自分の運命に満足していることは、社会の目には理解しがたい、受け入れがたい"弱さ"に映ります。

 真の「幸福のカギ」は、本当はまったく別のところにあるはずなのに、今の時代、目の前に見えることばかりが存在価値のあるものとみなされているようです。 

自分の人生を楽しむために気付きたいこと

 政治や経済システムも、まるで私たちの自立を阻むために動いているようにさえ見えるのです。世の中の仕組みは、私たちがそれぞれの人生を楽しむことより、生活費を稼ぐことに重点を置かざるを得ないようになっています。また、十分自分で賄えるようなことも、他人に依存するように仕向けてはいないでしょうか?

 それは、仕事さえできればいい、あとは、食事ならデリバリーやコンビニ、デパ地下の惣菜で、衣類はクリーニング屋、掃除はハウスキーピング、お金の相談は銀行のカウンセラーというように、合理的にサービスが買って済ますという考え方。

 とにかく仕事さえあれば、年金の保障さえ整っていれば、人としての存在価値は十分、という論理なのです。 

幸せとは、今、ここにあるのです

 ジーパンを穿き、快適な小さな家に住み、自分が「どこの誰」と証明する必要もなく過ごせることは、自分をよく見せるために肩ひじを張って生きるよりも、どれだけ楽でしょう?

 幸せとは、今、ここにあるのです。世俗的な享楽やお金、知名度や豪邸、そして他人の目によって決まるものではないのです。 

「幸福のお手本」から逃れるために

 経済活動は、何が何でも私たちに物を買ってもらわなければと、手を替え品を替え攻めてきます。そうしたなか、広い家で生活をしていれば、新しい家電製品から防災用具まで、生活必需品の量も半端ではなくなります。

 マスメディアとコマーシャリズムは、このスタンダードな価値観の伝達に決定的な役割を果たしています。「庶民」の幸福イメージとして私たちに一つのロードマップを押し付けるのです。

 理想的な肉体美をどうやって手に入れる?理想の恋人を見つけるには?最新のスマートフォンシリーズや新機能のヘルシー電子レンジ、お掃除ロボット、というように。結局私たちも欲望が刺激され、また、時代遅れにならないためにも流行を追いかける羽目になります。

 でも、このようなシステムに流されていくと、この既成の「お手本」に対して自分の個性や特徴を見失ってしまう恐れがあります。それではまるで常に親から選択肢は「これ!」と、決めつけられている子どものようです。

 私たちには、自分で物事を決めて行くだけの力が十分備わっています。そのためにも、自立に向けたロードマップを何が何でも見つけることです。 

時間を大切に考えるなら「経験」にお金を費やす

 最近、生活リズムの「ギアチェンジ」をし、稼ぎを減らし、ある程度の贅沢を諦めてでも、あるいは狭い住まいに変えてでも自分たちの時間を増やしたいと考える人たちが徐々に増えてきたように感じます。

 実際にそうした人たちを知っていますが、後悔している人はほとんどいません。

 この人たちは、金銭が物を買うためだけでなく、教育(こればかりは誰も盗むことができません)や安全、知識、安らぎ、健康、そして何よりも様々な経験を手に入れるために使うべきであることに気付いた人たちです。 

屋根ひとつ、お茶一杯

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