ひろさちや著「がんばらない、がんばらない」を読みました

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ひろさちやさんの「がんばらない、がんばらない」を読みました。

引用レビューします。

目次

 知足

 幸福とは何か……に関して、世間一般では次のような「幸福の公式」を考えているようだ。

――〈幸福〉=〈充足〉÷〈欲望〉――

 幸福とは欲望を充足させることだと、世間では思われている。年収一千万円が欲しいという欲望があって、五百万円の年収だと五割の幸福、八百万円だと八割、一千万円だと十割の幸福ということになるらしい。それがこの公式である。

 しかし、この公式は間違いだ。なぜなら、我々の欲望はいつも無限に膨れ上がるからである。最初、一千万円の欲望を持っていた人が、いつの間にか二千万円欲しいと思うようになる。分母の欲望が増大するのだから、いくら欲望を充足させても幸福は得られない。我々はこの公式によっては、絶対に幸福になれない。

 そこで仏教が教える「幸福の公式」は、このようになる。

――〈幸福〉=〈知足〉÷〈少欲〉――

 つまり、欲望を少なくし、足るを知る心を持て、そうすると幸福になれる、と仏教は教えている。いわゆる「少欲知足」である。 

懺悔

 失敗を反省するのはいいことである。それが世間の常識だ。しかし、仏教は、むしろ反省するな――と教えている。なぜか……?

 反省すると、焦りが生じたり、逆に絶望感に襲われるからである。

 今まで自分は怠けてきた。それを反省し、これからは頑張ろうと思う。そうすると、これまでのマイナスを一気に取り戻さないといけないと考える。それが焦りになる。

 そこで仏教は、むしろ反省するなと教えるのである。

 では、反省の代わりに何をするのか。それは「懺悔」である。懺悔とは、自ら犯した罪過を仏様に告白し、赦しを乞うことである。いわば、自らの過去をそっくり仏様に預けてしまって、これからはしっかりと仏道を歩むと決心するのが懺悔である。したがって、過去のマイナスにこだわらなくていい。過去を忘れてしまっていいのである。 

過去・未来

 ――立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半――

 豪邸を持つ必要はない。我々が生活するには、立っていれば畳半分、寝ているときでも一畳である。食事にしても、天下を取ったところで、わずか二合半しか食えない。ちっとも、あくせくする必要はない。古人はそう言っているのだ。

 仏典には、もっと素晴らしい釈迦の言葉がある。

 「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。未来はまだやってこない。だから現在の事柄を、現在においてよく観察し、揺らぐことなく動ずることなく、よく見極めて実践すべし。ただ今日なすべきことを熱心になせ。誰か明日の死のあることを知らん」

 今日は、今日一日をしっかりと、明るく、楽しく生きればよいのだ。釈迦は、そう教えておられるのである。 

八万四千の法門

 フランスの思想家のヴォルテールに、

 「僕は君の意見に反対だ。しかし、君がその意見を主張する自由は、僕の命をかけて守る」

 といった言葉がある。私たちが言論の自由を考える時、ヴォルテールのこの言葉を忘れてはならないであろう。

 ところが、私たち日本人は、他人の意見を尊重することが苦手である。日本人にとって少数の反対意見は常に耳触りらしく、多数の力で押し潰そうとする。そのような風土においては、真の意味での言論の自由が育つはずがないのである。 

この世には仏様がお考えになったいろんな配役があるんです

 競争社会における負け組も同じです。ご縁の世界においては、勝ち組・負け組ができます。敗者がいないと勝者はいないのです。で、仏様は負け組を嫌っておられる。仏様に嫌われているから、自分は負け組になったのだ。そう思わないでください。むしろ仏様は、負け組の人々に涙しておられるでしょう。

 〈つらいだろうが、あなたは負け組の役割をしてね。あなたは負け組になっても、幸福になる力があるのだから。私はあなたを信頼しているからね〉

 仏様はそう言っておられるのです。その仏様の言葉に、耳を傾けてください。

 この世はご縁の世界です。ご縁の世界においては、いろんな役割の人が必要です。

 演劇の場合、善人ばかりでは芝居になりません。金持ちばかりでは、シナリオが書けません。いろんな配役が必要なんです。

 そして、シナリオライターは仏様です。

 私たちは、仏様のシナリオに従って、この世での役割を果たしています。その配役を無事にやり終えたら、私たちはお浄土に往きます。

 そのお浄土は、ご縁の世界ではありません。この世で付けていた仮面――善人・悪人・大学教授・ホームレス・金持ち・貧乏人・医師・犯罪者・警察官・サラリーマン・などなど――を外して、みんなが本当の人間の姿に戻るのがお浄土です。お浄土では、勝ち組も負け組もないのです。

 そして、お浄土に往ったとき、きっと仏様が言ってくださいます。

 「ご苦労様でした。あなたは私のシナリオに従って、ちゃんと役割を果たしてくれたね。よかったよ。あなたが配役をこなしてくれたおかげで、私のシナリオが上手く展開できたよ」

 それがねぎらいの言葉です。たぶんねぎらいの言葉は、この世において損な役割を与えられた人により多く、温かい言葉が頂けるはずです。私はそのように信じています。 

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