玄侑宗久著「禅的生活」を読みました

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どうも、メンヘラナマポおじさん(@MenhealerOjisan)です。

玄侑宗久さんの「禅的生活」を読みました。

難しかったのでかなり飛ばしながら読みました。

引用レビューします。

目次

うすらぼんやり見る練習

 まず試しに、目の前に人差し指をたてた手をおいていただきたい。距離は三十センチくらいだろうか、手の長さに自然に任せればいい。その上で、普通にその指を見てください、といえばおそらく指に焦点を合わせるだろうから、当然指は一本に見えるはずである。

 それでは次に、その指を含んだ景色全体を「うすらぼんやり」眺めていただきたい。しばらく「うすらぼんやり」していると、指が二本に見えてこないだろうか。

 これはもともと左右の目に見えている二つの像が、「うすらぼんやり」することで統合されずに見えている状態であるから、別に驚くほどのことではない。しかもその指の像は、よく見ると向こう側のものを透かして半透明になっていると気づくだろう。

 また試しにその状態を保ったまま、腹を立てよう、あるいは不安を感じようとして見てほしい。

 あなたがもしちゃんと「うすらぼんやり」しているなら、それが無理であることに気づくだろう。感情にともなった身体状況が得られないから、感情は定着できないのである。

 しかもその「うすらぼんやり」状況で、あなたの体がリラックスしていることにも気づくはずである。言わば生命力が最大になっている。なんと人間は「うすらぼんやり」で生命力が最大になるという厄介な生き物だったのである。

誰でも悟れるのか

 ところでこうした悟りは、誰もが達成できるものなのだろうか。

 それについては古来いろんな意見がある。当初は人間すべてが悟れるわけではなく、だいたい三種類の人間がいるという考え方が一般的だった。それは「三乗」というのだが、「声聞乗」「縁覚乗」そして「菩薩乗」。つまり悟れるのは三つ目だけで「声聞乗」「縁覚乗」はそこまでいけず、初めから乗り物が別だという考え方が優勢だった。

 声聞というのは、極めて現代的に言えば要するに理論派である。人から聞いたり本を読んで解るだけではお悟りではないというのだ。縁覚というのは実際の生活のなかで様々な縁に触れて自覚するということだから、経験論といえると思う。しかしそれだけでも究極の悟りは得られないという。「三乗」思想の場合は、この理論派と経験論派が二種類の人間と考えられているところが面白いわけだが、究極の悟りは両者を合体させる素質を持った人間のものということになる。人間にはそうした区別があるというのである。

 実はこの問題に関しては、南都仏教の徳一大師と平安新仏教の最澄が苛烈な論戦を繰り広げた。徳一が今申し上げた「三乗」思想、最澄は『法華経』を典拠にした「一乗」思想を主張し、空海もそれに味方したのだった。「一乗」思想とは、どんな人でも仏になれるという考え方である。世間とすれば誰でも成仏できると言われた方が嬉しいのは当然だから、いきおい最澄と空海を支持することになる。この論争も最終的には徳一の敗北に終わるのだが、実際どうなのかということは、おそらく論争の勝敗とは関係なく、今も個別に考えなくてはいけない問題なのかもしれない。徳一の誠実さがそうした結論を導いた部分もあるのだろうと思う。

 しかし禅は、徹底して誰もが悟れるという立場をとる。いや、「現ずる」ことができるかはともかく、誰にも仏になる可能性としての「仏性」はあるというのである。

頓悟と漸悟

 弘忍禅師は民主的な道場運営をなさる方だったようで、弟子のすべてにお悟りの境涯を漢詩にして貼り出すようにおっしゃった。まあ、そうは言われても自分の実力はみなある程度知っているだろう。誰もがビビってしまうなかで、後継ぎ候補ナンバーワンと見られていた秀才の神秀が次のように書いたものを貼り出した。

 身は是れ菩提樹

 心は明鏡台の如し

 時時に勤めて払拭し

 塵埃を惹かしむること莫れ

 誰もが「さすが神秀」と黙り込んでしまったが、一人八ヶ月前に入門した慧能だけがこれに異議を唱えた。伝説の語るところによれば、慧能は文字が読めず、八ヶ月間米突きばかりしていたらしい。しかも体重が軽いため、腰に石の重りをつけて石臼を挽いていたという。

 その慧能が他の弟子に書き取ってもらったのが以下の偈である。

 菩提本樹無く

 明鏡も亦台に非ず

 本来無一物

 何れの処にか塵埃を惹かん

 神秀の偈にイチャモンつけたものであることは一瞥して明らかだが、二人の根本的な考え方の違いがここには明確に現れている。

 神秀は怠りなくそれを清めて塵がつかないよう、つまり戒律重視の立場をとるのに対し、慧能は一物もなければ塵のつきようもないと、戒律については言及していないかに見える。

 前者が戒律禅と呼ばれる「北宗禅」になり、韓国の曹渓宗はその系統である。そして後者が日本などへ伝来した「南宗禅」。つまり五祖弘忍禅師は、なんと両者に印可証明を渡したのである。

 戒律重視の北宗禅は「瓦を磨いて鏡にする」とも云われ、「漸悟禅」と呼ばれ、逆に初めから存在する「無心」が現れるだけだと考える南宗禅は「頓悟禅」と呼ばれる。悟りには坂道を上るようにだんだん近づくという立場と、それは不意に、突然現れるものだと考える立場があるのである。

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