玄侑宗久著『「いのち」のままに』を読みました

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どうも、メンヘラナマポおじさん(@MenhealerOjisan)です。

玄侑宗久さんの『「いのち」のままに』を読みました。

引用レビューします。

目次

心は六道を旅する

 日本は世界の中でも自殺する人がとても多い国です。昨年度の自殺者数は二万七千人を超え、一日七十人以上もの人が自殺しているというのですから、あらためて驚くべきことだと思います。

 また、請心疾患で医療機関にかかっている人も急増していて、2011年の統計では三百二十万人、なかでもうつ病の人が著しく増えているといいます。この数字を見ても、今の日本社会が息苦しく、生きにくい世の中になっていることが実感できます。

 仏教では人間の心が、「地獄」、「餓鬼」、「畜生」、「修羅」、「人間」、「天」という「六道」を旅していると考えます。「人間」は「じんかん」と読み、世間に暮らす我々の普通の状態のことです。この六道は、人間関係によって招く様々な状態とも言えるでしょう。

 人間関係がうまくいけば「天」にも昇る気分になりますが、関係というのは常に変化する無常なもので長続きしません。そのうち慢心から「人間」に戻り、さらに下手をすれば「修羅」も招きます。開き直れば「畜生」にもなり、周囲が見えず我欲の虜となるとまさに「餓鬼」です。「いっそ死んでしまいたい」なんて思い詰めると、そこが「地獄」ではないでしょうか。地獄に落ちると、そこから再び上に昇るなんてとても無理だと思ってしまいます。だからこそ地獄なのです。

 追い詰められた心は、自殺も忌避しなくなるし、その刃が他人に向けられて殺人を起こすこともあります。我々の心は地獄にも修羅にもなりますから、自殺も殺人も初めから可能性があることなのです。心は本当に危険なものです。

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