どうも、メンヘラナマポおじさん(@MenhealerOjisan)です。
植西聰さんの「がんばらない生き方」を読みました。
引用レビューします。
「もう~しかない」から「まだ~ある」に発想の転換をする
「もう~しかない」という思考法が、心配性の人の特徴のひとつです。
たとえば、コップに半分の水が入っていたとします。
その時に、「もう半分しか水がない」と慌ててしまうのが、心配性の人の性格です。
日常生活のなかでも、
「締め切りまであと一日しかない」
「貯金通帳にお金が少ししか残っていない」
などと、そんな思いから慌てふためいてしまうことがよくあります。
そして、「なんとかしなくては」という思いにかられるのですが、気持ちが空回りするばかりで有効な手段を講じることができません。
結局はなにもできないまま、ストレスだけが溜まっていくことになります。
そういう状態にならないために大切なのは、「もう~しかない」という思考法から発想の転換をすることです。
「コップに水が半分しかない」から、「コップにまだ水が半分もある」という発想に転換するのです。
すると、不思議と気持ちが落ち着いてきます。
気持ちが空回りしていくこともありません。
「どうにかしなければ」という気持ちから、「だいじょうぶ。なんとかなる」という気持ちに切り替わっていきます。
そのように気持ちを落ち着けて事に当たる方が、本当の意味で有効な手段を講じることができるのです。
「宵越しの金は持たない」という心意気で生きてみる
江戸時代の庶民が好んで使っていた言葉に、「宵越しの金は持たない」というものがあります。
「宵越し」とは、「一夜を越す」ということです。
つまり、「明日になる」という意味です。
「宵越しの金は持たない」とは、「明日に残すような金は持たない」という意味です。
つまり、商人が天秤棒で魚や野菜を売って儲けたお金や、あるいは職人が大工仕事や、日用品を作って得たお金は、「その日のうちに使いきってしまう」ということです。
言い換えれば、江戸の庶民たちのなかには、「その日暮らしていけるお金を得ることができれば、それ以上お金儲けに頑張ることはない」と考える人がいたのです。
その日暮らしていけるお金は、午前中働けば十分に得ることができました。
ですから、午後は将棋を指したり、落語を聴きに行ったりして、のんびり遊ぶ生活をしていた人もいたのです。
つまり、「宵越しの金は持たない」という言葉も、江戸の庶民の「がんばらない生き方」を表すものであるのです。
「がんばらない生き方によって、幸せに生きていく」という江戸の庶民の考え方を表しているのです。
もちろん現代人にとっては、貯蓄をまったく持たない生活など不可能です。
得た収入をその日のうちに使ってしまえば、明日から生きていけません。
しかし、「生活に必要な収入があれば、それ以上の欲をかいて、無理をしてお金儲けに頑張ることはない」という江戸庶民の考え方は、「心のゆとり」を育んでいく上で、参考になると思います。
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