枡野俊明著「競争からちょっと離れると、人生はうまくいく」を読みました

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どうも、メンヘラナマポおじさん(@MenhealerOjisan)です。

枡野俊明さんの「競争からちょっと離れると、人生はうまくいく」を読みました。

引用レビューします。

目次

「勝って失なうもの」「負けて得られるもの」を知る

「勝てば官軍」という言葉があります。

「負ければ賊軍」と続くわけですが、とにかく勝ちさえすれば、道理や真理に背いていたとしても、正義と見なされ、負ければ、有無を言わさず邪とされる、という意味です。

禅の考え方は、これとはまるで違います。そもそも正邪とか善悪とか損得とかを分別(区別)するな、というのが禅の教えです。

ただし、現代社会はどうも、勝てば官軍意識が蔓延しているようです。

仕事も成果主義が主流になっていて、とにかくいい成果を出しさえすれば褒めそやされる。「勝ち組」と認定されるわけです。

一方、成果を出せなければ、その間のプロセスなど一顧だにされず、「負け組」の烙印を押されます。

その競争原理の中で、何がなんでも勝ちたいという思いが膨れ上がっていく。そして、他人の足を引っ張る、足元をすくう、寝首を掻く……といったことも「あり」という気分になっていくのです。

競争原理が心を蝕んでいる、といってもいいような状況にあるのが、現代社会ではないでしょうか。

評価を少しばかり上げることに右往左往しない

自分に対する「評価」が気にならない、という人はいないでしょう。

周囲が自分をどの程度の人間と見ているか。仕事の能力はどの程度のものと判定されているのか。心にはいつもその事が引っ掛かっているはずです。

そこにあるのは「他人との比較」です。

どのくらいの人間か、どの程度の能力か、というときには、誰かと比べて上か下か、という「ものさし」が必ず持ち込まれます。つまり「評価」はいつも「相対的なもの」なのです。

そして自分が上なら少し安堵するし、下だと落ち込んだりするわけですね。

これでは心が落ち着く暇がありません。

だいいち、そのものさしで計れば、世の中にはもっと上の人も、もっと下の人も、数限りなくいるのです。それなのに自分を中心にした小さな幅の中で競争を続けてしまっているのです。

しかし、評価を少しばかり上げるために悩んだり、苦しんだり、足掻いたりするのは、バカバカしいと思いませんか?

評価というのは所詮、他人が勝手にする「レッテル貼り」です。

自分ですら自分のことがよくわからないのが人間です。ましてや、他人に「あなたはこのくらいの人間」「あなたの能力はこの程度」などと決めつけられるいわれも、筋合いも、そもそもないのです。

「どうぞ勝手に評価なさってください」

そんな気持ちでいればいいのです。

「こうあるべきだ」が、余計な苦しみを生む

人はどんなことに対しても、どこかで「決めつけている」ところがあるのではないでしょうか。

会社とはこうあるべきだ、ビジネスパーソンはこうあるべきだ、人間関係はこうあるべきだ……。

もちろん、仕事に関するポリシー、人間関係についての思い入れなどを持つことは必要でしょう。

理想はあってもよし。ただし、それに「執着」してはいけません。執着は、自分で自分を縛ることになります。

禅に、「無縄自縛」という言葉があります。

これは、ありもしない縄(こだわり)で自分を縛りつけてはいけない、という意味です。

「執着」をすると、そこから離れられなくなり、たくさんあるはずの選択肢が見えなくなるのです。

仕事の進め方にしても、当初の方針や段取り通りに進むとは限りません。むしろ途中で何度も方針転換を求められることの方が多いのだと思います。執着していると、そこで立ち往生してしまいます。

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