植西聰著「こころ自由に生きる練習」を読みました

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どうも、メンヘラナマポおじさん(@MenhealerOjisan)です。

植西聰さんの「こころ自由に生きる練習」を読みました。

引用レビューします。

目次

愚かな人は、頑固で融通がききません。賢い人は、考えすぎて、余計な心配ばかりしています。愚かさも賢さも捨て去った人を、悟った人というのではないでしょうか。

 たとえば、予約していた飛行機が天候不順のために飛ばなくなったとしましょう。

 相手は自然現象なのですから、どう足掻いても抵抗できません。

 しかし、「愚かな人」は、それを理解できず、あくまでも飛行機に乗ることに拘ります。空港の担当者を捕まえて「飛行機を飛ばせ。何がなんでも飛ばせ」などと文句を言い、相手を困らせ、自分もイライラするのです。

 一方、「頭のいい人」は、あれこれものを考えすぎます。「今日飛行機が飛ばないのなら、明日も飛ばないのではないか。目的地に行くには飛行機しか手段はない。万一、明日も明後日も目的地へいけないなら、自分の面子が丸潰れになる。会う相手の信頼を失ってしまったらどうしよう」などと考え込み、ストレスを溜め込みます。

 飛ぶことができない飛行機を飛ばせと頑固に主張するのでもなく、余計な心配をしてストレスを溜めるのでもなく、「今日は飛行機が飛ばない」という事実だけを冷静に受け入れることです。

 そして、「ではどうするか」を理性的に考えることだと思います。

悪たれ小僧にからかわれることもありますが、まあ気にすることはありません。

 良寛は僧侶でしたが、小さな庵に一人で暮らし、自ら寺を持つことはありませんでした。寺がないということは、檀家がないということです。

 檀家がなければお金も集まらず、良寛はとても貧乏な暮らしをしていました。

 食べ物を得るには、近所の家を托鉢してまわるしかありませんり托鉢とは、お経を唱えながら家を回り、善意で食べ物や金銭を与えてもらうことです。

 しかし、そのような寺を持たない貧乏な生活をしていたのは、良寛がダメ人間だったからではありません。

 良寛には、「地位やお金、贅沢な暮らしを求めず、清貧の生活を貫くことが、仏の教えなに純粋に従うことだ」という信念があったからです。

 そんな良寛を近所の人たちは尊敬していました。

 ただし、粗末な衣服を着て、托鉢して回る良寛は、時には悪たれ小僧にからかわれたり、バカにされることがありました。

 しかし、良寛は、そこで怒ったり、悔しがったりすることはありませんでした。

 現代でも、自分が信じる生き方をして、周りの人からバカにされることは、よくあると思います。

 そんなときは、つい腹が立って相手に言い返してしまうこともあるかもしれません。しかし、そのように腹を立てても、余計なストレスを溜めるだけで、益はありません。

 良寛のように、「気にしない精神」で、心穏やかに生きていくのがいいと思います。

偉くなり、豊かな生活を手に入れることなど望みません。現在の簡素な生活が、私には相応しいのです。

 出世や金儲けの才能がない人が、虚栄心を張っても、幸せにはなれないということでもあるのでしょう。「偉くなったら自慢できる」「お金持ちになって、みんなから羨ましがられたい」などといった虚栄心で、出世や金儲けをしようとしても、失敗して苦労するだけだろうと思います。

 良寛も、出世や金儲けの才能はなく、また興味もない人でした。

 そのような自分自身をよく知っていた良寛は、地位やお金を得るためにあくせくするような努力は一切しませんでした。

 もちろん、その結果、生活はとても貧乏でした。

 しかし、良寛は、地位も金もない生活が、もっとも自分に相応しいとわかっていました。

 また、自分に相応しい生き方を貫くことが、もっとも心が安らぐことであり、幸せなことだと信じていました。

 出世や金儲けの才能がある人は、出世や金儲けに邁進するのが相応しいと思う人は、その道を進むのもいいでしょう。

 しかし、そのような才能のない人は、例え貧乏で、地位がなくても、自分らしさを実現できる生き方を探す方が幸せかもしれません。

 人から「良寛は変わり者だ」と噂されようとも、まったく気にせずに過ごしているのです。

 山の中腹にある粗末な庵に一人で暮らして、だんだんと老いていく良寛を、「あの人は変わり者だ」と噂する人もいたようです。

 しかし良寛は、冒頭の言葉で、「私は何を言われても気にしません。静かに日々を過ごしています」と、満ち足りた気持ちを述べています。

 それだけ、「人からなんと言われようが、この生き方こそ自分らしい生活のあり方だ」という自信があったのでしょう。

 また「もっとも心が安らぎ、幸せを感じられるのが、今の生活だ」という動かしがたい実感があったと思います。

 逆の言い方をすれば、「人の噂が気にかかる」のは、今の生き方に自信や満足感を持てていない証拠なのかもしれません。

 安らぎを得られず、不安を覚えている証拠なのかもしれません。

 結局、噂をどう受け止めるかは、自分次第だと言えるかもしれません。

 自分がしっかりしていれば、誰からどう思われようが気になりません。人を気にし、人の目次第で気持ちがふらつくから、噂が気になってしまうのです。

人生はアッという間に過ぎ去ってしまうほど短いのです。地位やお金を求めることに明け暮れて、何になるのでしょうか。

 良寛は、冒頭の言葉で、「人生は短いのです。与えられている時間はとても貴重なのです。その時間を、地位やお金を求めることに費やしている暇などありません。もっと他に、やらなければならない大事なことがある出はありませんか」と問いかけていると思います。

 なぜなら、地位もお金も結局は、失われてしまうものだからです。

 どんなに偉い地位につこうとも、威張っていられるのは一時です。

 いずれ老い衰え、地位を他人に譲らなければならなくなります。

 もしかしたら、権力争いに巻き込まれて、地位を誰かに無理矢理奪われるはめになるかもしれません。 

 お金も同じです。どんなに溜め込んでも、あの世には持っていけません。

 ケチケチしていても、他人に騙されて、まんまと盗みとられてしまうことも考えられます。遺産として残しても、子供に浪費されてしまうかもしれません。

 良寛は、「そのような儚い目的のために血眼になって、短い人生の貴重な時間を使ってしまうのは愚かだ」といっていると思います。

 では、もっと大事なこととは何を表しているのでしょうか。

 この言葉のなかでは、はっきり述べていませんが、想像するに、それは「自分らしく生きる」ということだと思います。

 自分の信念を実現し、自分が心から安らぎ、楽しく思えることに時間を使えば、人生に後悔はない、ということです。また、人に喜びを与え、人から感謝される存在になることを目的とすれば、意義のある人生になることでしょう。

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