仲暁子著「ミレニアル起業家の新モノづくり論」を読みました

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ミレニアル起業家 新モノづくり
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仲暁子さんの「ミレニアル起業家の新モノづくり論」を読みました。

引用レビューします。

どうも、メンヘラナマポおじさん(@MenhealerOjisan)です。

目次

誰も日本なんて見ていない

誰も日本のことなんて気にしてないし、海外の人が口にするのは「どうして日本は起業家が少ないのか」とかそういう話ばかりだ。また目眩がする(笑)。自分ではそんな風に思っても見なかったが、確かにGDP比で見ると日本は世界トップ5には入るGDPの規模を持っているにも関わらず、スタートアップの調達額は相対的に少ない。

つまり、あなたが思っているほど世界では誰も日本の漫画なんて読んでないし、アニメも見てないし、クールだとも思ってないし、せいぜい干からびた寿司をいわゆる日本の寿司だと思ってスーパーで買っている程度だ。何度も言うが日本なんて誰も注目してないし、世界最大の旅情報サイトトリップアドバイザーの2017年の人気観光地ランキングでもトップ25位にも入っていない。

別にそれがどうってことなければそれでいい。ただ、もし日本が世界で注目されている!何て思っていたらその考えはたださなければならない。美味しい市場があるけれど商習慣が独特すぎて入りづらいなあ、なんて思われているぐらい。

金持ちのボンボン

合理的に考えて日本のマーケットがかなり成熟して大きくなり、かつ金払いがいいものだから、下手に海外に出るよりも日本国内でビジネスを伸ばした方がいいよね、ということになる。

よくメタファーとして、日本でビジネスをするプレーヤーは金持ちのボンボンという言い方がなされている。つまり庭が広く高い塀で囲まれた平穏な環境で、ほとんどの国民が英語は話せないし、謎の商習慣があるし、外からは入りづらいので、その中で比較的伸び伸びと(とはいえ日本人同士でサービス激戦を繰り返しながら)生きているのだ。温室でゆったりと事業を育むことができる一方で、結果的には塀の外では通用しないような世間知らずの商品や組織ばかりが溢れ、ガラパゴス化が加速していく。

逆に庭が狭い(内需が小さい)国に生まれたプレーヤーは最初から庭の外に向かって、ある意味ハングリーに事業を展開して稼いでいくしかない。それが、スウェーデン発祥の格安家具店イケアやファストファッションのヘネスアンドマウリッツ(H&M)だったり韓国のK-POPだったりする。つまり、最初から75億人をターゲットにしているので事業が多くの国に広がる可能性も高い。

熱くなるのがイタイ

近年は人種や国籍を越えて、共通の消費行動におけるトライブ化(共同体化)が起きている。例えばビーガン(菜食主義)とか、バルサのファンだとか、フェアトレード推進とか、LGBTとか、エヴァ好きとか、そういうことだ。

人々がアイデンティティーの拠り所としてそういうものを選ばないといけないぐらい、国家とか家族とか地域の繋がりが分解されてきている。だからこそ、特に多民族国家のアメリカでは、アイデンティティーの輪郭を鮮明にするための個々のストーリーテリング能力が高い。それに対して日本人には、物事をはっきりいったり、何かを大声で主張するのは逆にダサい、空気を読もうぜ、みたいなノリがある。

ストーリーテリング能力の欠如

例えばiPhoneを買う消費者は、別にiPhoneのスペックを購入しているわけではなく「iPhoneを持っている、イノベーティブでスマートなイケテる自分像」を買っている。シェアハウスにすむ若者は、単純にお金がないと言うだけでなく(昨今の人気のシェアハウスは一人暮らしよりも高かったりする)、「オープンに人と関わり合って進化していく自分像」を買っている。パタゴニアで人が働くのは、「品質の高いフリースを作りたい」からではなく「自然への敬意、情熱、愛を持っている人たちと一緒に世界環境をよくしていく自分像」を実現するために働いている。安いとかバッテリーの持ちがいいとか、給料が高い、だけじゃもう人は購入しないし働かない。

ストーリーテリング能力とは、こういった背景の物語を組み立てて言語化し、発信できる力のことを指す。

ストーリーはもの不足の時代からマーケティングでは必須だったが、ものが溢れる現代においては一層重要性が増している。

前例のない生き方

生き方のロールモデルがない。進むべき指針がない。昔は自明だったような、大家族、宗教、地域コミュニティといった帰属先もないし、日本のメディアはお先真っ暗な少子高齢化の問題ばかりをあげつらう。暗鬱とした気持ちになるのも無理はない。その中で好きなことをやれと言われても、上の世代の親だったり、欧米諸国と比べると保守的な社会の風潮に押されて、いわゆる「レールを外れる」のが怖い(シャープや東芝のようなかつて堅牢だったレールも音をたてて崩れているが)。

さらに言うと、そもそも自分が何が好きかもわからない。そういう若年層が多い。

毒を食らわば皿まで

私は時空を広げるというのは、「毒を食らわば皿まで」の面もあると思う。というのも、情報へのアクセスが容易になり社会的、物理的モビリティが高まったこの社会は、自分らしさを追求しやすくなった一方で、自分の住む世界とは全く別の世界を知ってしまったがために新たな苦しみも背負い込むことになるからだ。「知らぬが仏」で、知らなければそれはそれで自分の小さな安全な社会で暮らしていけたし、満たされていたのに、嫉妬を感じたり、自分を哀れんだりとさらに渇きを感じてしまう。

オンラインで様々な人たちの生活を簡単に覗き見できるようになった今、同年代にしてIT企業で億万長者になっている人もいれば、若くして世界を飛び回るモデルもいる。海外の大学に留学している友達もいれば、何かの試験に受かる知人もいる。満たされづらくなるし、そういった状況の中で納得できる(場合によっては妥協ポイントを見つけて正当化する)、身の丈にあった人生を自分でデザインして生きていくというのは、精神的な辛さもある。

自分の「快パターン」の維持

企業の平均寿命は1960年以前は約60年あった寿命が、2010年には15年ほどまでに下がっている。一方で、人間の寿命は1960年には男性が65歳だったのが、2010年には約80歳、今後さらに延びる見通しだ。

1960年には65歳まで生きる人が寿命60年の会社で働く、終身雇用は可能だった。これが今や、平均寿命が80歳に対して企業の寿命は15年。25歳から65歳まで40年間働くとすれば、最低三回は転職が必要になる。今後は年金システムの崩壊と共に、平均80歳まで働くことになるというから、25歳から働き始めるなら80歳まで55年もあり、企業の寿命が10年まで下がると、最低五回の転職が普通になる。もはや終身雇用とか年功序列みたいな制度は維持不可能だし、状況に応じた働き方が必要になる。

80歳まで継続して働くには、自分にとって何が大事なものかをわかっていると圧倒的に楽だ。次から次へと変わっていく「ラベル」に振り回されていると疲弊するが、それがあくまで手段であり、自分が納得感のある生活ができていることがわかっていれば、変化は怖くない。絶えず向かってくる波のある海で、浮き輪に身を委ねて上がったり下がったりしているようなものだ。

なのでキーワードとしては、「無理をしない」ということが大事になる。誰かのためではなく、自分にとっての「快パターン」を維持することを最優先する。つまらない仕事でもその稼ぎで家族を養えるのが自分の「快パターン」だという人は、それを追い求める生活をすればいいかもしれないが、逆に親とかパートナーとか、誰かのために自分を犠牲にしていると思った瞬間に、それは「快パターン」ではなくなる。ただ、「無理をしない」というのは「頑張らない」と同義ではない。無理をしなくてものめり込むほど面白く、結果として実績がついてくるというのが一番理想だ。

8つの特徴

本書で何度も登場するミレニアルという言葉について、ここでおさらいしておきたい。ここでいうミレニアルとは2000年のことで、ミレニアル世代とは1982年以降に生まれ、2000年頃にアメリカで大人とされる18歳になった人々のことを指す。彼らは日本の「ゆとりさとり世代」とも近く、それまでの世代と行動様式が大きく異なるため、消費的観点だったり労働者としてマネージする観点まで、欧米諸国では幅広く注目されている。(場合によってはワガママだったり自由奔放というネガティブな印象もある)。

  • 所有よりアクセス
  • コスパ重視
  • 健康に気を使う
  • 貯金する
  • LGBTが多い
  • ポリコレ
  • 「何のために」を気にする
  • アーリーアダプターが二倍多い

のめり込むための条件

探す方法はとにかくいろんなものを食べてみることだと思う。自分は何が好きか、食べずに知ることは難しい。食べてみて美味しいと思えばそれを追求し、初めは取るに足らないと思っていたものでもやがて情熱がわいてくる。なにかを始める前から、情熱を持っている人なんて実はそういない。

足し算より引き算

人類は長らく「欠乏」の中で生きてきたので、なるべく「大きい」「多い」方が嬉しいという生存欲求による固定概念がある。とはいえ、今の時代は完全に供給が需要を物理的に越えてしまい(情報量など、もの以外に関してもそう)、いかに所有を減らしたり、ものを持たないかが重要になってきている。「断捨離」の思想だったり、その延長線上にある「人生がときめく片付けの魔法」などがベストセラーになっているのは、「捨てる技術」のニーズが高まっている証だ。

「イノベーションのジレンマ」を読めば一目瞭然だが、企業というのは構造的に「新規参入して競合をディスラプト(既存の仕組みや制度を破壊するというニュアンスで、スタントアップ領域で多用される言葉)するときは価格的にも安くてシンプルなものを提供し、その後成長を求められるに連れてオーバースペックで高価なものを提供し始め、また次のプレーヤーにディスラプトされる」といったサイクルを辿る。

要は、「足していく」という考え方を捨てなければいけない。機能を追加すればするほど作る側の満足度は高まるかもしれないが、ユーザーにとっては使い方が難しくなっていく。シンプルな部分にフォーカスし、なるべくUIを盛らずに、ベストはUIが変わっていないのに圧倒的に便利にする、という考え方だ。

Googleが分かりやすい例で、トップページは未だに真っ白なページに検索ボックスを置いただけだ。1998年のリリース時からページの構成要素はほぼ変わっていないが、この裏で走っている仕組みは圧倒的に進化し続け、恐ろしい量の情報がすさまじい速度で処理されている。また、検索結果が出たあとのユーザーの行動(検索結果のクリック率や各ページの滞在時間などといった情報)も全部追跡して、それらが検索アルゴリズムなどに再活用されるという秀逸なモデルだ。

ミレニアル起業家 新モノづくり

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