やましたひでこ著「新・生き方術 続・断捨離 俯瞰力」を読みました

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どうも、メンヘラナマポおじさん(@MenhealerOjisan)です。

やましたひでこさんの「新・生き方術 続・断捨離 俯瞰力」を読みました。

過去の著作と重複するところが多かったので、今回は引用少なめです。

目次

男性は、承認を求める生き物

 モノの量に無意識・無自覚で生活していると、住まいの中にあるモノはどんどん増える一方。この増え方にも、男性と女性の違いがあります。男性には、断捨離の「捨てられない!3分類」でいう「過去執着型」の比率が高い。要するに、コレクター体質です。働き始めてから定年するまでのネクタイがずら~っと並んだクローゼット、とりあえず集めた文学書の全集、子供の頃好きだったアニメのフィギュア…そういったものが、いまの関係性が問われないまま、きっちり収納されていることがしばしばあります。

 

 ここで見極めたいのは「モノを愛でているのか」「集めるアクションが好きか」ということ。前者であれば、どれだけモノが多くても関係性は良好と言えます。ところが後者は自分自身の存在の証明。男性は得てしてモノで存在意義を証明することがある。「過去に自分はこれだけのことをしてきた」「こういうものを手に入れている自分は凄いんだぞ」というアピールですね。

 以前「定年した主人の背広を処分しようとしたら『オレまで捨てる気か!』と怒られまして…」という報告をいただいたこともありましたが、それぐらい男性にとっては、自分自身と分かち難い存在。常に、社会から承認を受けていたいという「承認の欲求」は人間だれしも持っていますが、とりわけ社会での評価がアイデンティティになりがちな男性には、自分が承認を受けているという「証拠品」としてモノが存在しています。

 そんな時、奥さんはどうすればいいか。断捨離では、勝手に家族のものに手をつけないという大前提があるので、ご主人に片づけを促す際は、こんな言い方をするといいでしょう。

「あなたのセンス、素敵だから厳選してね」 

「捨てる」と「棄てる」。2つの「すてる」の違いとは

 見向きもしない、使いもしない、ガラクタ同然のモノが住まいに漫然と放置・保管してあったとしたら…家の中に、まさに"打ち棄ててある"ようなもの。場所がたまたまゴミ棄て場なのか、家の納戸なのか、というだけの違いです。 

いまの日本人にこそ必要な、引き算の発想

 モノの量は、持ち主の不安と比例する。このことは、多くの事例を見てきて明らかです。逆に言うと、余分にあると安心する心理。でも、余分がまた余分を呼び…。

 東日本大震災で、買い溜めに走った多くの人たち。買い溜めの原動力は不安です。スーパーに大挙して押しかけ、大量の食糧をカートに詰め込み、レジには大行列ができ…。非常事態だからこそあぶり出された、現代社会の縮図のような光景でした。

 報道で「被災地以外の食糧の供給は十分賄える」と伝えられているにもかかわらず、不安だからと3日分の食料を溜め込み…3日分あれば安心かというと、今度は5日分、いや1週間分と不安は増幅するばかり。まるで無間地獄のように。

 不足に、不安に、焦点を当てている限りは、どれだけ抱え込んでも安心はやってきません。 

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