どうも、メンヘラナマポおじさん(@MenhealerOjisan)です。
吉村葉子さんの「お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人」を読みました。
過去最大の付箋の数です。
引用レビューしていきます。
基本的にフランス人はお金を使わないで済ませようとする
数え切れないほどフランス式アフタヌーン・ティーを体験したものの、マダム達の中で誰も、わざわざお金を出してまで有名パティスリーでお菓子を買ってくる人はいなかった。ティータイムの主役は楽しいおしゃべりに違いないし、手作りのクッキーやタルトがその場に一番ふさわしいのだから。ご主人が会社で仕事をしている時間に、彼女たちは一切無駄な出費はしない。彼女たちの価値観からすれば、高価なケーキが登場する方がちぐはぐなのである。
これは日本の専業主婦の方たちは耳が痛いんじゃないですかね。
モノを増やさないというポリシーもまた、余計なお金を使わない秘訣だ。パリにも数多くの雑貨店があるし、カトラリーにしても食器にしても、世界の一流品が揃っている。日本の都市にある輸入雑貨店の商品にフランス製がかなりあることを思えば、現地にあって当たり前だ。
ところが彼女たちは、おいそれと雑貨を買わない。お財布を開ける前に、その商品がなくても困らないという結論に達するからだ。「アー、かわいい」とか「ワー、ステキ」という感嘆詞は、彼女たちの購入欲に繋がらないのである。それよりも、また一つモノが増えたら、キッチンが狭くなる現実がすぐに彼女たちの念頭にあがる。
フランス人にとってお金は、世の中に散財するモノを買うためにあるのではなく、自分たちが生きていくために必要なモノだけを補充するためにあるのだから。
ミニマリスト的ですね。
ダンシャリアンとも言いますね。
この「生きていくために必要なモノだけを補充するため」というのが、昨日読んだ
ある相談者の方は、「それは生きるために必要なモノですか?そうではないのですか?」という問いを買い物の時にしているのだそうです。生きるために必要というレベルでないと、「必要」とはしないのです。 そしてそれ以外は不要とし、欲しいという感情を冷静に判断するようにしているそうです。
https://menhealer-namapo-ojisan.com/archives/4546
そのまま出てきます。
フランス人女性はお金貯め込んでそうですね。
日本には買いたいモノが多すぎる
「東京はものすごくエキサイティングだけど、ストレスがたまる街だと思う。何もかもが、人間の頭脳を刺激する仕組みになっているみたい。パリならばボーっとしていられたのに、この街には誘惑が多すぎるのよ。
ブランジェリーにしても、どうしてあんなにきれいにパンを並べるの。どれもみんな食べたくなってしまって、どれを買ったらいいかわからない。パリのどこのブランジェリーよりも、青山のブランジェリーの方が種類もたくさんあるし、美味しそうに見える。ベーコンの入ったクロワッサンなんか、フランスで食べたことない。手の込んだパティスリーは、もっとびっくりした。あんなに手間のかかったケーキ、今まで見たこともない。
(中略)
歩いていればティッシュがタダでもらえて得だけど、それ以外は買いたいモノが多すぎて、自分が貧乏のような気がする。物価は思ったほど高くはないけど、買いたくなるような魅力的なモノが多すぎるのよ。」
大量生産・大量消費の弊害ですね。
フランセーズは買えないモノは欲しがらない
これも一種の諦めの良さではないかと思うが、フランセーズは買えないモノは欲しがらない。女性誌に載っているシャネルのバッグを買うために、せっせと積立貯金をする女性はいない。
彼女たちは自分の給料では、シャネルのバッグになんて到底手が出ないと諦める。シャネル・バッグが欲しいかと聞かれたら、プレゼントしてくれるのですか、と彼女たちは言うに違いない。そしてこう思う、バッグだけシャネルでも、それにふさわしい洋服がない、靴がない、と。
一点豪華主義とかじゃなく、トータルコーディネイトなんですね。
全身ブランドものというと、ハイヒール桃子を連想してあまり良い印象持たないんですけど。
ブランド品 私らしさを表現するには邪魔
女性は腕時計を買うものではない、とフランス人はよく言う。というのも、女性の時間は男性が独占するモノだから、腕時計は男性が愛する女性にプレゼントするモノだと言われている。
かっこよすぎワロタ
古くても、安物でも、自分が気に入ったらそれでいい
寝具売り場で売られていた、ストライプのパジャマ。サテンの縁取りがしてあり、大きな貝ボタンにポケットがついた落ち着いた色調のメンズのパジャマを、黒やグレーのパンタロンに羽織れば、れっきとしたジャケットになる。どうしてパジャマを外で着るの、などという疑問もフランスではナンセンス。パジャマの上をジャケットにしたら、ズボンは膝下でちょん切ってしまおう。ついでに裾をダブルにまつっておけば、とびっきりおしゃれなパンタクールのできあがり。ただしこれについては、上下一緒に着るとパジャマに逆戻りしてしまうから別々に。
下のパンタクールは、黒のタンクトップやTシャツと併せるといい。上等なパジャマでも、ジャケットに比べれば値段は高が知れている。コットン100%というクオリティもさることながら、縁取りがしてあり、貝ボタンがついていようが、要はパジャマ。パジャマとしては高級品でも、洋服に比べたら安いのが何よりうれしい。
パジャマのズボンをちょん切ったからといって、パリジェンヌが器用なことにはならないどころか、彼女たちは往々にして不器用。小中学校の教科に家庭科がないのだから、一般のフランス人はお裁縫を習わない。彼女たちはお裁縫の手ほどきを受けていない。
ところがなまじの知識ならない方がましとばかりに、彼女たちは平気で切ったり縫ったりする。表に見える所でも、目の粗い運針でチクチク。裾ならばまつり縫いのはずだけれど、まつり縫いを知らないから、思い思いの縫い方で決めてしまう。自分が良いと思えばそれがベストとばかり、お気に入りの服でどこへでも出かけるのが、パリジェンヌ流というわけだ。
(中略)
『風と共に去りぬ』のビビアン・リー扮するスカーレット・オハラが、獄中にいたレット・バトラーに会いに行くために作った、ビロードのドレスを覚えておいでだろうか。
あるいは『サウンド・オブ・ミュージック』のジュリー・アンドリュース扮するマリアが作った子供たちの遊び着のことを。
ハリウッド映画ばかりでフランス映画で思い浮かぶシーンがないのが残念だが、どちらも主人公たちは、目の前にかかっていたカーテンを服にリフォームしてしまうのである。カーテンの生地で作るとは、なんと素晴らしい。
なんか凄いパリって生きやすそうです。
自分のやりたいことをやりたいようにやれる土壌があるというのは、出る杭が打たれる日本から見ると羨ましいです。
私相当打たれてきましたからね。
子どもの頃は左右で違う靴を履いて2倍オシャレだなとか、冬場チャンチャンコがやたらスタイリッシュに思えて、外出着の上に着て犬の散歩したりしてました。
母親に「近所の人から頭おかしいと思われるからやめて」と何度言われたことか。
何度私のクリエイティビティが潰されたか。
人の目を気にしすぎる人間になってしまったのも母親のせいですね。
いや、出る杭を打つ風土のせいです。
こんな国からは新しいモノが生まれるはずがないですわ。
もっともっと、エスカレートする日本
パリを訪れる日本のお嬢さんたちが、シャネルやエルメスの大きな紙袋を抱えてはホテルに入っていく姿を見て、私の友人は日本には良いバッグがないの、と聞いた。
(中略)
そう言われてみれば私たちは、フランス人よりもモノをたくさん持っている。カトリーヌ・ドヌーヴやパトリシア・カースならいざ知らず、オシャレで定評のあるパリジェンヌでさえ、そう沢山モノは持っていない。
それからというもの私は、パリジェンヌたちに会うたびに、彼女たちが持っているバッグを観察してみた。
そうして出た結論は、彼女たちの持っているバッグはどれも、相当くたびれているということだった。くたびれている…。それは私たち日本人なら、とっくに使わなくなっているほどくたびれていた。やはり私たちは、パリジェンヌたちよりもハンドバッグをたくさん持ち過ぎているのは確かだ。
気に入った一つのモノをボロボロになるまで使うっていうのは、その人の人となりを感じて好きです。
安いファストファッションを使い捨てにしている人よりも人間臭さを感じます。
気持ちが楽しくなる貯金のすすめ
「あなた、そろそろエパーニュ・ロジュモンでもしてみたら」
エパーニュは貯金で、ロジュモンが住宅、つまり住宅貯金である。
目の前に買いたい物件がなくても、少し余裕ができるとフランスでは誰もがエパーニュ・ロジュモンをはじめる。そしていつか自分の家を持ちたいという夢を実現するために、積立貯金を始める。月々の積立金は5千円からでも良い。早い時期に始めておけば、それだけ銀行との信頼関係も深まり、実際に買いたい物件が出た時点で、融資が受けやすいシステムになっている。
(中略)
購入資金の融資に関しては、借りる本人の職業や頭金の額よりも、銀行で地道に積立貯金をしていたという実績が、高く評価されるのである。そこには、借り手が自由業だからという貸し渋りもなければ、職種によるハンディもない。
カフェのギャルソンだからと言って、貸し渋る銀行があるとしたら、無名の画家だからと言って家のローンが組めないような銀行があったとしたら、そんな銀行はフランスならすぐさま倒産するに違いない。まっとうに税金を払っていれば、そして一つの銀行でエパーニュ・ロジュモンをしていたら、誰にでも公平に銀行は融資する。融資するのが銀行の業務に他ならないし、職業に貴賎があろうはずがないから。わずかずつでもエパーニュ・ロジュモンをしておけば、近い将来に自分の家が持てるという、ささやかだけれども確かな希望がある。
日本だと住宅ローン組むなら公務員みたいな感じですけど、どんな職業でもローンが組めるなら職業選択の段階でも自由度が高そうでいいですね。
日本で画家になるなんて言ったら、普通の人生を諦めるようなもんじゃないですか。
仲間を呼んで、我が家のリフォーム
アパートでも戸建でも、古くて痛んだ家を安く購入し、綺麗にリフォームして高値で売る。フランス人にとってそれは、利殖の第一歩である。それにはフランスが、地震と無縁の国だということが大きく関わっているのは確かだ。それまで百年を経過している建物は、この先の百年はもつに違いないし、二百年を経過しているなら、この先二百年は大丈夫だろう、といういい加減なようだが、誰もがそう確信している。
イギリスでも中古住宅を自分でリフォームして転売するのが財テクになっていると読みました。
日本とは大違いですね。
築百年の古民家なんて、帳簿上は減価償却しきって土地の価値しかありません。
建物にはもう価値がないので、それを担保にローンも組めない。
なので古民家を買う個人なんて酔狂な人以外ほぼいません。
新築の家だって20年で減価償却終わって無価値になります。
その頃には水回りの修繕なども必要になってきます。
無価値になった家にお金掛けるなんて馬鹿げてると思ってしまいます。
日本で家を買うのは爆弾を抱え込むようなモノです。
人を招くことが大人として認知される第一歩
親離れが遅くなっているのは、どうも我が国の話だけではないようだ。親離れと子離れは対のようなものだから、子供が親に甘えているとばかりは言えない。親たちが豊かなのだから、子供にばかり清貧に甘んじろというのは難しい。
確かにフランスでも、いつまでも親の家に居座る若者が増えている。だが、親の世代には皆無だったことが、少しずつ増えているだけのこと。両親がパリ市内や通学可能な郊外に住んでいたとしても、大学生のほとんどが自宅を出て一人暮らしをしている。成人に達したら家を出る。これがいまでもフランスの常識だ。
これもイギリスと一緒ですね。
イギリスの場合は独立した子供の部屋をリフォームして、下宿人を住まわせて家賃収入を得るということでした。
日本の場合は、大学を卒業して就職しても実家から通う人もいるので、その点子供の立場では恵まれていますね。
自宅にお招きする以上のおもてなしはない
フランスで暮らし始めて私は、人と人が出会い付き合い始めてから親密さの度合いを深めていくプロセスで、相手を自宅にお招きすることの重要性を知った。そこにはこんな狭い家だからとか、料理が下手だからというエクスキューズが入り込む余地はない。あるのはただ、付き合っている相手に自分をどこまで知ってほしいかという熱意だから。その人の自宅に呼ばれたか否かが、お互いの信頼関係を決定づけるのである。
招いたり招かれたりの関係には、きっかけが大きくものを言う。フランスはカップル社会だから、呼ぶ方も呼ばれる方も男女のカップルというのが原則だ。そうなるとまずカップルが誕生し、二人の関係が結婚という様式をとらなくても、それなりに確かなものになった時点で親友たちを招く。二人が一緒に暮らし始めたアパートへの引っ越しを機に、新居のお披露目を兼ねてというのが、大人としてカップル社会にデビューする第一歩になる。
こういう順を追って大人の階段を上っていくような儀式があっていいですね。
日本の場合は20歳でいきなり成人式、はい大人です。と言われてもピンとこないんですよね。
こういう通過儀礼みたいなのあった方が良いんじゃないかと思いますね。
田舎でゆったり過ごすバカンスのすすめ
バカンスにも格があり、ピラミッド型の頂点に君臨するのは世界一周旅行。次に中国や旧植民地のカンボジアやインドシナ半島、ベトナムなどになる。フランス人がバカンスを生きがいにしていたとしても、いつもそんなビッグな、お金のかかるバカンスばかりはしていられない。海を越え、長距離の飛行機を使い、ホテルの泊まるバカンスは五年に一度か十年に一度くらいなもの。そのほかのときは、心身の休養とリフレッシュのための静かなバカンスをとる。バカンスという言葉にはリッチなイメージが先行しがちだが、お金をかけないバカンスの楽しみ方が、人々に浸透しているのである。
地味でも楽しいバカンスは、国内のディスカバーふるさと。自分たちの生まれ故郷か、もしくは親戚や親友の実家を訪れる。知人の誰かが持っているメゾン・ド・カンパーニュを借りることもある。親類縁者のつてではなく、バカンスの情報誌やタウン誌などに掲載されている"別荘貸します"でも探せる。
これもイギリスと同じですね。
普段の生活を節制してお金を貯めて、一回当たりにお金をかけないで何度も小旅行をし、数年に一度大きなバカンスへ行く。
オンとオフがはっきりしているの良いと思います。
ディズニーランドは子どもの遊び場
ディズニーランドが完成した当時、高校で数学の先生をしている親友のエメがこう言った。
「メゾン・ド・カンパーニュにいけば、お金がかからないじゃない。仲間も呼べるし、一緒に食事もできる。ディズニーの入場料を払い、中で食事をしたら、大変な出費になる。妻のパトリシアと子供二人の四人分の入場料と食事代を合計したら、ちょっとしたバカンスに行けるだけのお金がかかりますよ。それに乗り物に乗っているだけなんて、楽しいと思いますか。いまさら有料の運動会なんて、僕はまっぴらですよ。
そのうち、小学校で先生がディズニーに子どもたちを遠足に連れていくでしょう。子供たちの遊び場の遊園地に、大人が行って楽しいはずがないじゃないですか。僕はお金を払ってまで行く気がしないですよ。ディズニーに行くぐらいなら、僕は妻や友人たちといたい」
私の知る限りディズニーランドについては、エメはフランス人の主流派である。
意外でした。
ディズニーは世界中で愛されているものだと思ってました。
ディズニー映画やピクサー映画は世界中で大ヒットしているのかと。
日本とアメリカだけのムーブメントだったんですかね?
幼いころから刷り込まれる男と女の役割
ある日、私の家に出入りしている娘さんが、嬉しそうにこう言った。フランス人と結婚しようと思うんですよ、と。日仏家庭がまた一軒増えることになると、私は大歓迎した。
そして彼女は、いかにフィアンセのピエール君が素晴らしいかということを、興奮気味にこう語ったのである。
「ピエールはものすごく親切なんです。土曜の朝、私に起きなくて良いというんですよ。彼の言うとおりにベッドの中にいたら、キッチンからコーヒーの香りが漂ってくる。熱々のカフェ・オ・レと焼き立てのクロワッサンを、ピエールはわざわざ私の為に寝室に持ってきてくれたんですよ。これって、すごくおしゃれだと思いませんか」
土曜の朝、ベッドに届けられた、焼き立てのクロワッサンとカフェ・オ・レの威力は絶大なり。そして私は、とっさに彼女に話そうとしたことを呑みこんだ。
フランス人男性なら誰だって、そのくらいのことするよ、と。土曜の朝のクロワッサンとカフェ・オ・レが、パパがママにするサービスだということを、子供心に刷り込まれているのだからとも。
まあ、しかし、そんなことは映画の中の話だろうと一笑に付す日本男児と結婚するよりも、彼女は幸せに違いない。少なくとも、週末の朝に限ってだけは間違いなく。
日本女性お手軽すぎるでしょ。
うつ病の私も、マキネッタでカフェラテ淹れてベッドに座って飲みながら食パン食べてますよ。
コーヒー淹れてクロワッサン買ってきただけじゃん。
そんなんで結婚できるなら、私も結婚できるような気がしてきましたよ。
お金を稼ぐ能力がないことにさえ目を瞑ってもらえれば、私はなかなか優良物件なんじゃないでしょうか。
サービス精神は割とある方だと思いますし。
専業主夫にしてもらえたら良い仕事すると思いますよ。
リスト・ド・マリアージュという合理的なシステム
フランスには古くから、リスト・ド・マリアージュという大変合理的なシステムがある。結婚が決まったカップルがデパートなどに出向き、自分たちの新婚生活に必要なモノのリストを作成する。モノはすべてデパートで売られている商品で、担当者はリストを見ながら彼らが書き込んだものに価格を記入する。そして結婚祝いを贈りたいと思う親戚や知人たちは、彼らが指定したデパートに足を運び、リスト・ド・マリアージュの書類を見る。そして自分の懐具合と相談し、贈り物を選ぶ。カップルは彼らが望むものがもらえ、贈る側にも無理がないという、いかにもフランスらしいシステムなのである。
(中略)
フランスには結婚のお祝いに、現金を贈る習慣はない。両親ほどの近い関係ならいざ知らず、他人が現金を渡すということはタブーである。日本式に考えれば、現金なら本人たちが欲しいものが買えるから最も便利だということになるのだが、それは通用しない。お金で真心は買えない、とだれしもが思っているからだ。一生大切に使う食器が揃ったというマリオンの言葉はその意味で、私にとても新鮮に聞こえたのである。大切にしてもらえるモノをプレゼントできて、本当に良かったと。
文化の違いというのは面白いですね。
日本であれが欲しい、これ買ってとリストにして見せたら図々しい奴だと思われそうです。
逆に日本では当たり前の現金を渡すというのが、フランスではタブーだと。
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