塩見直紀著「半農半Xという生き方」を読みました

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どうも、メンヘラナマポおじさん(@MenhealerOjisan)です。

塩見直紀さんの「半農半Xという生き方」を読みました。

 過去に読んだ、高坂勝さんの著書に出てくる半分農家をやりながら、ナリワイを持つという概念の大本になった本だと思います。

引用レビューします。

目次

 「小さな暮らし」と「充実感ある使命」 これが「半農半X」だ

 半自給的な農業とやりたい仕事を両立させる生き方を、私は「半農半X」と名付けて提唱している。

 自ら米や野菜などの主だった農作物を育て、安全な食材を手に入れる一方で、個性を生かした自営的な仕事にも携わり、一定の生活費を得るバランスの取れた生き方である。お金や時間に追われない、人間らしさを回復するライフスタイルの追及でもある。

 いわば、エコロジカルな農的生活をベースに、転職や生きがいを求める生き方だが、私は天職、生きがいに社会的な意義を含ませている。

(中略)

 「X」は使命(ミッション)。自分の個性、特技、長所、役割を生かして、社会への何らかの貢献を目指す。大好きなこと、心からやりたいことをして社会に役立ちながら、それが金銭となり生活収入となる。人はなにかを売って生きているが、魂までは売らずに生きていたいと願うものだ。 

「生活収入」少なくも、「心の収入」大きい

 田舎で「半農」の暮らしをしようとすれば、原則的に生活は「生活収入を少なく、心の収入を大きく」になる。ここ綾部では、大人ひとり、月に10万円も収入を得れば、充分に暮らせるだろう。

 実際、田舎暮らしだと職の選択肢が狭まり、「入るを計って出ずるを制する」という言葉があるように、必然的に生活自体は縮小する。

 今はもう大きいことを求める時代ではなく、「小ささ」「コンパクト」が求められるスロー&スモール・イズ・ビューティフルの時代だ。

 生活の縮小となると、厳しく感じるかもしれないが、心豊かな暮らしができるのは、「X」があるからだろう。真の喜びがあることは、それさえも解消できるのだ。 

必要なものさえ、満たされればいい 買い物の判断基準

 我が家の消費生活は、「楽しく、必要なものさえ満たされればいい」という考え方によっている。「足るを知る」ということである。

 できることから引き算をしていけばいいと思っている。無理はかえって心の健康に害をもたらすから禁物である。「楽しい引き算」でいいのだ。

 現実は確実に「引き算の時代」にシフトしている。20世紀は「作る」「増やす」の「足し算の時代」だった。それによって、社会、個人はたっぷりと贅肉をつけ、様々な社会病理現象を抱えている。

 今は、その贅肉を削ぎ落とし、地域、家族、個人と言った小さい単位の精度と洗練性を追求する時代である。「スケールメリット」から「スモールメリット」追及への転換である。

 東京の出版社、地湧社の増田正雄社長から、こんなことを教えてもらったことがある。

 「日本文化とは階段を上る文化ではなく、しずしずと、階段を背中から一歩一歩下がり、不要なものを一枚一枚、削ぎ落としていくような文化ではないか」

 苔玉や山野草のミニ盆栽が流行っているが、これも引き算の美学を求める人々の意識が形になったもので、欧米で人気の「ZEN(禅)スタイル」だ。日本の引き算の思想は21世紀の世界の知的な地球資源である。 

様々な「とらわれ」を手放す訓練の時

 新しい時代を象徴する言葉を一つ上げるとしたら、私は迷わず「シェア」という英語を選ぶ。

 「シェア」とはご存じのように、「分かち合うこと」「共有すること」を意味するのだが、最近では、レストランなどで、「サラダをシェアする」と使われるほど、日本語化されつつある。「ワークシェアリング」「カーシェアリング」などもそうだ。

 なぜ、今シェアなのだろう。これまでの「独り占めや極端な私有」では、社会や地球は「持続可能ではない」という反省がその背景にあるのではないか。

 限られた地球資源、限られたわが命であることを認識し、夢や希望を、そして、悲しさもシェアし、希望の世紀を共に創っていこうという思いの表われ、それが人々に「シェア」という言葉を多用させている。

 「シェアする」とは「し合う」ことで、一人ではシェアできない。活かし合い、助け合い、育み合うには、自分以外の他者が必要だ。

(中略)

 そして、私たちの築いた社会を手渡すことになる未来の世代とも愛を持ってつながることができる思想でもある。

 今、意識して使っていきたいこの言葉がこの国で流行るとき、きっと何かが変わり始めるに違いない。 

幸福の物差しの目盛りが、「円」から「時間」へ

 「ダウンシフティング」という考え方を、オーストラリア・ラトローブ大学教授の杉本良夫さんが紹介している。ダウンシフティングとは下方移動の意味だが、自発的に仕事の量を減らし、自分の自由な時間を増やすという考え方である。

 サラリーマンなら週に3,4日働いて、あとは家庭や地域社会で過ごす時間に力を入れる。要は、自分に合う充実した暮らしを最優先にする。収入は減り、地位も上がらないが、生活の充実度は高い。オーストラリアで過去10年間にダウンシフティングダウンシフティングした人は、30歳以上で4人に1人もいると言う。 

バリ島社会に理想のライフスタイルを見る

 ニューヨークという文明の極限に住み、科学・人間・自然の共生を探り続けてきた作家・宮内勝典さんと、2001年に屋久島で生涯を終えた詩人・山尾三省さんの対話集『ぼくらの知慧の果てるまで』で、私は「バリ島モデル」に出会った。「半農半X」という考え方に大きな影響を与えた宮内さんのメッセージだ。

 「僕が今ぼんやりと考えているのは、バリ島型社会です。バリ島では朝早く水田で働いて、暑い昼は休憩して、夕方になるとそれぞれが芸術家に変身する。毎日、村の集会所に集まって、音楽や踊りの練習をする。あるいは、絵画や彫刻に精魂を傾ける。そして10日ごとに祭りがやってきて、それぞれの技を披露しあい、村人たちが集団トランスに入る。そして翌朝は水田で働き、夕方には芸術家になり、10日ごとに集団トランスに入る。村人一人一人が、農民であり、芸術家であり、神の近くにも行く。つまり一人一人が実存の全体を丸ごと生きる。僕はこのバリ島モデルを、人類社会のモデルとすることはできないか、過去に戻るのではなく、未来社会につなぐことはできないか暗中模索しているところです」 

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